大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 昭和60年(ワ)486号 判決

原告

千葉県(X)

右代表者千葉県企業庁長

蕨悦雄

右訴訟代理人弁護士

吉原大吉

右指定代理人

鈴木睦美

後藤章誓

永島秀勇

石渡治康

山崎信吉

田野弘

被告

東京特殊金属株式会社(Y1)

右代表者代表取締役

中里盛雄

被告

中里株式会社(Y2)

右代表者代表取締役

中里才治

被告

中里才治(Y3)

中里盛雄(Y4)

右四名訴訟代理人弁護士

濱野英夫

塩谷安男

理由

二 被告中里株式会社及び被告盛雄についての法人格否認の法理の適用による責任の有無について

原告は、被告中里株式会社及び被告盛雄は、法人格否認の法理により、被告東京特殊金属と同一の責任を負う旨主張する。

そして、その根拠とするところは、(1)被告中里株式会社については、同被告、被告東京特殊金属をはじめ、海外金属、日本ベルパーツなど、被告才治、被告盛雄及びこれら二被告の家族(以下「中里一族」という。)が役員あるいは株主となっている一群の会社は、それぞれ別個の法人格を有してはいるものの、海外金属が被告東京特殊金属のために連帯保証人となったり、日本ベルパーツが被告東京特殊金属の債務の弁済のために資金を提供したりするなど、経済的には同一体であって、結局、実質的経営者である中里一族(特に、当初は被告才治(後に被告盛雄)の企業の一部門にすぎないものとみるべきであり、殊に、被告中里株式会社は、被告東京特殊金属の株式の半数を保有するなど被告東京特殊金属を完全に支配管理し、被告東京特殊金属とは実質的に同一体であり、また、被告中里株式会社がその所有する本件土地のうちの一八〇〇坪を売却して被告東京特殊金属の従業員の給与の支払いや被告東京特殊金属の債権者への弁済に当てるなどの点に法人格の濫用がみられるから、被告中里株式会社は、法人格が別個であっても、被告東京特殊金属と同一の責任を負う というものであり、(2)被告盛雄については、右(1)の主張のとおり、被告盛雄が被告東京特殊金属、被告中里株式会社の実質的経営者であることのほか、被告盛雄が、個人の資産を被告東京特殊金属の経費の支払いに当てたこと、被告東京特殊金属のために連帯保証人となったこと、被告東京特殊金属が倒産した後に被告中里株式会社の代表取締役となり、同被告の所有する本件土地のうち、一八〇〇坪を売却して被告東京特殊金属の従業員の給与の支払いや同被告の債権者への弁済に当てるなど、被告盛雄と被告東京特殊金属の間には、個人と会社の財産の混同があり、被告東京特殊金属は、実質上被告盛雄の個人企業と同一視することができる客観的状態にあったから、被告盛雄は、被告東京特殊金属と同一の責任を負う、というものである。

1  原告の右主張の当否を判断するためには、被告東京特殊金属、被告中里株式会社の設立経過、被告盛雄とこれらの会社との関係等の検討が必要であるから、以下検討する。

(一)  中里合名会社の設立

被告才治は、昭和七年一一月二〇日、燐青銅板、燐青銅線の製造加工等を事業の目的とする中里合名会社(本店は東京都中央区東日本橋二丁目二八番三号、変更前は同区日本橋両国五番地)を設立し、妻の流、長男の被告盛雄、二男の登、三男の昌夫及び四男の孝を社員としたことは、原告と被告中里株式会社及び被告才治の間においては争いがなく、また、原告と被告東京特殊金属及び被告盛維の間においては〔証拠略〕により認めることができる。

(二)  被告東京特殊金属の設立

被告東京特殊金属は、昭和二三年七月三〇日に設立され、被告才治が代表取締役に、被告盛雄、登及び孝が取締役に、流が監査役に選任されたことは、原告と被告中里株式会社及び被告才治との間においては争いがなく、また、原告と被告東京特殊金属及び被告盛雄との間においては、〔証拠略〕により認めることができる。

〔証拠略〕を総合すれば、被告東京特殊金属の設立時の資本金は一〇〇万円であり、その大部分は被告才治が出資したことを認めることができる。

被告東京特殊金属の資本金が現在二五〇万円であること、その目的が燐青銅等特殊合金の板線・棒の製造販売等であることは、当事者間に争いがなく、また、〔証拠略〕によれば、被告東京特殊金属が増資をするに当たっての資金の多くは、被告中里株式会社が提供したことを認めることができる。

(三)  被告中里株式会社の設立

被告才治は、昭和四七年一二月七日、被告中里株式会社を設立し、昭和五五年一月二二日には、中里合名会社と被告中里株式会社が合併した(被告中里株式会社が存続会社となった。)ことは、原告と被告中里株式会社及び被告才治との間においては争いがなく、また、原告と被告東京特殊金属及び被告盛雄との間においては、〔証拠略〕により認めることができる。右〔証拠略〕によれば、被告中里株式会社の設立時の資本金は一〇〇万円であること、役員は大部分中里一族が占めて推移していること(代表取締役は当初被告才治、昭和六〇年五月から昭和六一年一〇月まで被告盛雄及び孝)、本店は東京都中央区東日本橋二丁目二八番三号であることを認めることができる。

被告中里株式会社の資本金が現在二四〇万円であること、その目的が、金属材料及び製品の製造販売、金融、土地建物の賃貸業、保険代理業等であることは、当事者間に争いがない。

(四)  その他の会社の設立

被告盛雄は、昭和三七年一二月六日に海外金属を設立したこと、海外金属の子会社として、昭和四八年三月一日に日本ベルパーツ、昭和四二年一一月三〇日に白金工業株式会社がそれぞれ設立されたことは、原告と被告中里株式会社及び被告才治との間においては争いがなく、また、原告と被告盛雄との間においては、〔証拠略〕により認めることができる。そして、〔証拠略〕を総合すると、(1)海外金属は、イギリスのバークアンドアレンという会社と被告東京特殊金属の洋白についての共同事業のために設立された被告東京特殊金属の子会社であること、設立時の資本金は一二〇〇万円であり、役員は、中里一族が大部分を占めるが(特に、被告盛雄は、一時期監査役であったことがあるが、おおむね取締役、それも代表取締役の地位にあった。)、中里一族以外の役員もいた(その中には、川崎や岡田のように、被告東京特殊金属の従業員であった名目的取締役もいたが、津田正三のように、昭和四八年五月二八日から二年間、被告盛雄と共同代表取締役の地位にあった者もいた。)こと、会社の目的は、金属材料及び製品の輸出及び輸入、金属材料及び製品に対する加工及び販売、日常雑貨の輸出入並びに製造及び販売であること、本店は東京都新宿区信濃町三四番地であること、(2)日本ベルパーツは、被告盛雄を中心として設立された海外金属の子会社であること、設立時の資本金は一〇〇〇万円であること、役員は、中里一族が多く、被告盛雄が代表取締役であったこともあるが、それ以外の者もおり、昭和六〇年一月一六日就任の役員は、すべて中里一族以外の者であること、会社の目的は、電子機器の部品及び材料の製造加工並びに販売等であること、本店は設立当初は東京都新宿区信濃町三四番地であったが、後に東京都新宿区水道町三六番地萬世興業ビルに移転したこと、なお、千葉県船橋市海神町南一丁目一三八九番地に支店を有していること、(3)白金工業は、昭和四二年一一月三〇日に被告盛雄を中心として設立された被告東京特殊金属の子会社であること、設立時の資本金は五〇〇万円であること、役員は、中里一族が多く、被告盛雄が代表取締役になったこともあること、会社の目的は、金属材料及び金属化合物の製造加工並びに販売、粉体及び粉末製品の製造加工並びに販売等であること、本店は、福島県白河市大字萱根字金ケ入一〇番地であることが認められる。

また、〔証拠略〕を総合すれば、以上のほか、中里一族に関連する会社としては、株式会社和銅(設立昭和三〇年五月九日、資本金一〇〇万円、役員は代表取締役である登を中心として中里一族が多い、会社の目的は製紙用金網及び特殊金網の製造販売、磁性材料の製造販売、特殊合金の製造販売、金属材料の輸出入等、本店は東京都中央区東日本橋二丁目二八番三号、なお、昭和四九年一〇月一日にいったん解散したが、同月二〇日に会社継続となっている。)、ブラッシュウェルマンジャパン株式会社(日本とアメリカの合弁企業、設立昭和五七年九月三〇日、資本金は、設立当初七億三〇〇〇万円であり、いったん減資があったが、結局、七億三〇〇〇万円に戻っている、役員は、設立当初昌夫が代表取締役、被告盛雄が監査役であるなど中里一族が多いが、その性質上外国人も多く、平成元年三月三〇日にはすべて外国人で占められている、会社の目的は、ベリリウム合金等の輸出入、製造、販売及び卸売等、本店は、当初、東京都千代田区九段南四丁目六番九号であり、後に同一〇号、更に同区神田神保町三丁目九番地第一丸三ビルとなった。)、有限会社イー・シー・エス・エムインターナショナルマーケッティング(設立昭和六一年二月三日、資本金は、設立当初二〇〇〇万円、後に三〇〇〇万円、役員は、代表取締役が被告盛雄であり、被告盛雄を中心とする色彩が強い、会社の目的は、非鉄合金材料及び棒、板、条、線等二次製品の売込み並びに海外市場開発等、本店は、東京都中央区東日本橋二丁目二八番三号。)があることが認められる。

(五)  被告東京特殊金属、被告中里株式会社など中里一族に関連する会社の企業実態と相互関係

被告才治が、昭和二五年五月一一日、本件土地上に木造スレート葺で工場・居宅などの附属建物を含む二階建事務所を建築したこと、本件土地建物について、昭和二八年九月一日、被告才治から中里合名会社に売買を原因として所有権移転登記がされたことは、原告と被告中里株式会社及び被告才治との間においては争いがなく、原告と被告東京特殊金属及び被告盛雄との間においては、〔証拠略〕により認めることができる。

〔証拠略〕を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1)  被告東京特殊金属は、前記のとおり被告才治から中里合名会社に譲渡され、後に合併により被告中里株式会社の所有となった本件土地(八六一一・五六平方メートル)において、本件建物その他の建物を利用し、溶解炉、圧延機、焼鈍設備などを備えて、通信機器の製造販売、加工などを行っていた。

被告東京特殊金属は、最盛期には約二〇〇人、倒産直前でも六、七〇人の従業員を雇用し、これらの従業員は、他の会社の仕事は全くしていなかったものであり、また、昭和五七年度の売上高は一五億一四三万〇五九七円で一〇二三万八二一〇円の利益、昭和五八年度の売上高は一九億五六一四万二〇八八円で一二億一二六七万五五四七円の損失であった。

被告東京特殊金属は、いくつかの金融機関に自己名義の預金を有し、殊に、富士銀行には一時期数億円の預金をしていたこともあった。

被告東京特殊金属においては、経理部長の肩書を有する者も、実際には経理に関与せず、被告盛雄も、会計には無関心であり、実質的に経理責任者と呼べる者はいない有様であったが、被告盛雄の娘が、税務申告のため、芙蓉総合リース株式会社からリースを受けたコンピューターに、伝票などから経理資料を入力して、一応会社としての独自の経理が行われていた。

被告東京特殊金属においては、増資など重要な案件がある場合を除き、株主総会や取締役会は開催されていなかった。

(2)  被告中里株式会社の中心的業務は、所有不動産を関連会社に賃貸することであり、本件土地建物のほか、東京都中央区東日本橋に賃貸用ビルを所有して不動産業による収入を収めていた。

(3)  倒産当時の被告東京特殊金属の株主構成は、発行済株式総数合計五万株のうち、被告才治が一万三七八四株、流が二五〇株、被告盛雄が一万三七六五株、登が八二五株、昌夫及び孝が各三五〇株、被告中里株式会社が二万〇六七六株であった。

(4)  海外金属は、被告東京特殊金属のためにバークアンドアレンから原材料を輸入する業務、被告東京特殊金属の製品を輸出する業務を行っていた。

日本ベルパーツは、被告東京特殊金属と原材料の売り買いをしたことがあるが、取引は必ずしもひんぱんではなく、昭和五六年又は昭和五七年に被告盛雄が自己の所有する同社の株式を全部昌夫に譲渡してからはより少なくなった。なお、日本ベルパーツには三〇人前後の従業員がいた。

白金工業は、銀製や銅製のインゴットを製造して被告東京特殊金属に売却し、被告東京特殊金属がこれを加工、販売した。なお、白金工業には二〇人前後の従業員がいた。

(5)  海外金属は、被告東京特殊金属が昭和五八年二月七日に住銀総合リース株式会社から四億円を借りるに際し、これを連帯保証した。

日本ベルパーツは、昭和五八年二月二一日、被告東京特殊金属の住友銀行信濃町支店の当座預金口座に、一五〇九万三七一六円及び一三五一万一七六八円を振り込み、被告東京特殊金属は、これを自らの支払分に充当した。

(6)  被告盛雄は、被告東京特殊金属が倒産した後である昭和六〇年五月から昭和六一年一〇月まで孝と共に被告中里株式会社の代表取締役の地位にあったところ、被告中里株式会社の所有していた本件土地を船橋市海神町南一丁目一三八九番一ないし三に分筆し、そのうち一三八九番二、三の土地を売却し、この代金から被告東京特殊金属の従業員に一億四〇〇〇万円を支払い、原告を除く被告東京特殊金属の債権者約一〇〇名に合計二〇〇〇万円の弁済をした。

(六)  被告盛雄と被告東京特殊金属の関係

被告盛雄が個人の資金を被告東京特殊金属の経費の支払いに当てたことがあることは、原告と被告東京特殊金属及び被告盛雄との間においては争いがなく、右〔証拠略〕を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

被告盛雄は、被告東京特殊金属の経営が思わしくなくなると、昭和五七年二月に五〇〇万円を被告東京特殊金属の千葉銀行船橋支店の当座預金口座に振込入金し(被告東京特殊金属は、これを同被告の同月の支払分に当てた。)、昭和五九年三月二九日に五五九万八〇〇〇円と三七〇万九四九二円を被告東京特殊金属の住友銀行信濃町支店の当座預金口座に振込入金する(被告東京特殊金属は、これを同被告の同月三〇日の支払分に当てた。)など、個人の資金を被告東京特殊金属の経費の支払いに当てたり、被告東京特殊金属が富士銀行小舟町支店や住友銀行の銀行取引をするに当たり連帯保証人となったり、被告東京特殊金属が住友総合リース株式会社から四億円の借入れをするに際し、海外金属と共に連帯保証するなどした。

また、東京都新宿区信濃町二一番地六の被告盛雄がもと自宅として所有していた建物は、その後被告盛雄持分三分の二、海外金属持分三分の一の共有となったところ、被告盛雄は、昭和五八年八月、右建物と、自己の所有に係るその敷地を売却し、被告東京特殊金属の銀行借入金の返済に当てた。

なお、被告盛雄が個人の金を被告東京特殊金属の経費の支払いに当てた場合、それは、会計上被告東京特殊金属への貸付金として処理された。

2  次に、右1の認定事実に基づき、被告中里株式会社及び被告盛雄に法人格否認の法理により被告東京特殊金属と同一の責任を負わせることができるか否かについて判断する。

法人格否認の法理が適用されるのは、法人を権利主体として表現するに値しないと認められる場合、すなわち、法人格が全くの形骸にすぎない場合、又はこれが法律の適用を回避するために濫用される場合である。これを被告東京特殊金属についてみると、次のとおりである。

(一)  原告の被告東京特殊金属の法人格は形骸化しているとの主張について

(1)  原告は、被告東京特殊金属、被告中里株式会社など中里一族の関与している会社は、経済的には同一体であって、中里一族による企業体の特殊金属の製造部門が東京特殊金属株式会社という法人格を有しているにすぎないのであって、被告東京特殊金属の法人格は形骸化していると主張する。

確かに、中里一族の関与している会社は、会社の目的に金属加工など共通する要素があること、被告中里株式会社、株式会社和銅及び有限会社イー・シー・エス・エムインターナショナルマーケッティングの本店が同一の場所にあること、海外金属及び日本ベルパーツが当初本店を同一の地におき、しかも、それが被告盛雄の住所に、ごく近い場所であったこと、日本ベルパーツが被告東京特殊金属の本店所在地に支店を置いていたことなど、相互に密接な関連をもっていた。また、被告中里株式会社が被告東京特殊金属の株式の四一・三パーセントを占め、海外金属及び白金工業が被告東京特殊金属の子会社であり、日本ベルパーツが海外金属の子会社であるという、資本的な関連性もある。

しかしながら、必ずしも同一時期に中里一族の同一の人物が、これら会社のすべてについて代表取締役となっていたわけではなく、また、ブラッシュウェルマンジャパン株式会社などは、七億三〇〇〇万円もの資本金を有し、かつ、明らかに独立の存在となっており、更に、被告東京特殊金属との関係が相当密接である海外金属、日本ベルパーツ、白金工業についてみても、海外金属は、専ら被告東京特殊金属のための原料の輸入、被告東京特殊金属の製品の輸出をしていたものの、独自に契約主体として活動し(被告東京特殊金属のために連帯保証したことも、むしろ、法人としての実態を有することを示すものであろう。)、日本ベルパーツは、被告東京特殊金属とは別の従業員を有し、経営権が昌夫に移ってからは独自の活動を強め、白金工業も、被告東京特殊金属のための製品とはいえ、独自の生産活動を行い、被告東京特殊金属とは別の従業員を有していたものであって、これら会社は、比喩的には中里一族による企業体の一部であるといえても、法律的には別個独立の企業体であるといわなければならない。

(2)  原告は、被告中里株式会社は、被告東京特殊金属を完全に支配管理し、被告東京特殊金属とは実質的に同一体であると主張する。

しかしながら、被告東京特殊金属は、最盛期には約二〇〇人、倒産直前でも六、七〇人の従業員を雇用し、これらの従業員は、被告中里株式会社の仕事を全くしていなかったものであり、また、昭和五七年度の売上高は一五億一四一三万〇五九七円で一〇二三万八二一〇円の利益、昭和五八年度の売上高は一九億五六一四万二〇八八円で一二億一二六七万五五四七円の損失であったということにみられるように、独自の営業活動をし、富士銀行には一時期数億円の預金を有していたという社会的実態を有する会社である。被告中里株式会社が被告東京特殊金属の発行済株式の四一・三パーセントを保有し、被告東京特殊金属の増資に際しては相当の出資をし、また、その所有に係る本件土地建物を被告東京特殊金属に賃貸していたからといって、被告東京特殊金属が被告中里株式会社に財産上全面的に依存していたということもできない。

更に、被告東京特殊金属は、被告中里株式会社とは本店も営業内容も別で、経理の混同があった形跡もなく、また、代表取締役も、昭和五〇年ごろ以降は、被告東京特殊金属が倒産した後の一時期両社とも被告盛雄がその地位にあったのを除き、被告東京特殊金属は被告盛雄、被告中里株式会社は被告才治と別人であり、両社が取引界において誤認混同されるような客観的状況にあったとも認められず、被告東京特殊金属をもって、被告中里株式会社に完全に支配管理されている形骸化した法人格であるとみるのは困難である、といわざるを得ない。

(3)  原告は、被告盛雄と被告東京特殊金属との間には、個人と会社の財産の混同があり、被告東京特殊金属は、実質上被告盛雄の個人企業と同一視することができる客観的状態にあったと主張する。

しかし、会社の法人格が形骸化しており、独自の法主体として扱うに値しないとしてこれを否認し、背後の個人に責任を負わせる場合の「個人と会社の財産の混同」とは、個人が会社の財産を自己の用に供するような事態がその典型であって、原告が「混同」の事由として主張する、個人がその財産を会社につぎ込むことは、それが恒常的に行われて会社の営業に必要な財産が完全に個人の財産に依存していると認められるような場合でない限り、それだけでは、当然には「混同」に該当しないものと解すべきであるところ(個人が会社に財産をつぎ込むことによって、会社と取引する者は不利益を受けない。)、被告東京特殊金属においては、被告盛雄が個人財産をつぎ込むようになったのは、経営不振になった非常時だけであり、かつ、つぎ込んだ金は、貸付金として処理されているのであるから、「混同」があったと認めるには疑問がある。また、会社のために連帯保証することも、特段の事情がないかぎり、むしろ、会社と個人の人格の異別性を示すものといわなければならない。なお、被告東京特殊金属では、税務申告のためとはいえ、独自の経理を行っており、この点からみても、被告盛雄と被告東京特殊金属の財産の混同があったとするのは困難である。

また、被告盛雄が被告中里株式会社の代表取締役となって、本件土地の一部を売却したことは、確かに、被告東京特殊金属の債務の弁済のために、債務者でない被告中里株式会社の財産を売却したという意味において、被告盛雄が被告東京特殊金属及び被告中里株式会社に対する相当程度強い支配権を及ぼしているということはできるが、これをもって前記のような社会的実態を有する被告東京特殊金属の法人格が形骸化しているとみるには十分ではない。

その他、被告東京特殊金属の本社と被告盛雄の住居が別個であることも考え合わせると、被告東京特殊金属が被告盛雄と取引上混同されるような客観的状況にはなかったというべきであり、被告東京特殊金属において、重大な案件がないかぎり株主総会も取締役会も開催されなかったことを考慮してもなお、被告東京特殊金属の法人格が形骸化しているとしてこれを否認し、被告盛雄に被告東京特殊金属と同一の責任を負わせることはできないものというべきである。

(二)  法人格が濫用されているとの主張について

原告は、被告中里株式会社がその所有する本件土地のうち一八〇〇坪を売卸して被告東京特殊金属の従業員の給与の支払いや被告東京特殊金属の債権者への弁済に当てるなどの点に法人格の濫用がみられるから、被告中里株式会社は、被告東京特殊金属と同一の責任を負うと主張する。

その趣旨は、必ずしも明らかではないが、被告東京特殊金属の債務の弁済のために被告中里株式会社が財産を売却することが簡単に行われるような状況では、それぞれの法人格は、有名無実のものであり、不当な意図のもとに濫用されているものである、というにあると推察される。

しかし、法人格が法律の適用を免れるために濫用されるというのは、典型的には、ある会社が債権者の追求を免れるために別会社を設立して財産を移転したときに、別会社の法人格が濫用されているとされるような場合をいうと解すべきであるが、被告中里株式会社が被告東京特殊金属の債務の弁済のために所有財産を売却したというだけで、被告東京特殊金属の法人格が濫用されているとするのは困難であるといわざるをえない。

(三)  結論

よって、被告中里株式会社及び同盛雄のいずれについても、法人格否認の法理により、被告東京特殊金属と同一の責任を負わせることはできない。

三 被告才治及び同盛雄の商法二六六条の三第一項又は第二項所定の責任の有無

原告は、被告才治については商法二六六条の三第一項の規定により、被告盛雄については同法二六六条の三第一項又は第二項の規定により、損害賠償責任を負うと主張する。原告が被告才治の責任原因として主張するのは、被告東京特殊金属の取締役会の構成員であるにもかかわらず、代表取締役である被告盛雄の不当な業務の執行を監視しなかったというものであり、被告盛雄の責任が認められることを前提とするものであるから、まず、被告盛雄の責任の有無について判断する。

1  被告盛雄の商法二六六条の三第一項所定の責任の有無について

原告の主張を要約すると、原告は、被告盛雄が、被告東京特殊金属の経営状態からみて返済の見込みのない大量の借入れをし、また、その製造する製品が時代後れになってきたにもかかわらず、新たな事業展開をするでもなく、杜撰な経営を続けたとし、これらの点において取締役として職務を行うにつき重過失があると主張している。そこで、右主張について以下検討する。

(一)  被告東京特殊金属の借入れについて

〔証拠略〕を総合すれば、被告東京特殊金属の昭和五八年一月から倒産時の昭和五九年一一月までの主な借入れは、富士銀行小舟町支店から、昭和五九年九月二七日に八〇〇〇万円、同月二九日に六四〇〇万円と一八〇〇万円、住銀総合リース株式会社から昭和五八年二月七日に四億円、住友銀行信濃町支店から、昭和五八年二月七日に一億円、同年四月七日に三〇〇〇万円、同年六月九日、八月二二日、一〇月一二日及び昭和五九年三月二八日に各五〇〇〇万円であること、住友銀行信濃町支店からの借入れは、実質的には住銀総合リース株式会社からの借入れの借り換えであること、住銀総合リース株式会社からの借入れは、材料在庫の引取りと、設備投資(ただし、白金工業の敷地に設置するものである。)の目的によるものであることが認められる。

(二)  被告東京特殊金属の営業及び財務状況

〔証拠略〕を総合すれば、以下の事実を認めることができる。〔証拠略〕中、以下の認定に反する部分は、前掲各証言に照らし採用することができない。

(1)  被告東京特殊金属は、燐青銅や洋白の棒、板、線などを製造しており、設立から一〇年ほどは、製品のうち生活用品に使用するものと通信機器に使用するもの(ダイヤル式電話機の押さえバネ―フィンガーストップ―を含む。)が半々の割合であったが、その後約一五年は通信機器に使用するもの、殊に電話のクロスバー交換機の材料(洋白を使用する。)が主力となった(フインガーストップは、昭和四〇年ごろ以降は、ボタン式電話機の普及もあって、主力製品ではなくなっていた。)。しかし、昭和四七年ごろを境に、クロスバー交換機が電子交換機に取って代わられた(昭和五六、五七年には、もはやクロスバー交換機は使用されなくなった。)ため、被告東京特殊金属は、主力製品を失い、被告盛雄としては、燐青銅を使用した製品への転換や、新合金の開発に活路をみいだそうとしたが、昭和四八年の第一次オイルショック、昭和五二年の第二次オイルショックも重なって、経営は悪化し、昭和五四年以降は徐々に欠損が生じるようになり、昭和五六年ごろからは、給料の遅配、税金の滞納等の事態が生じるようになった。

(2)  被告盛雄は、昭和五五年ごろから、被告東京特殊金属における新規の事業展開を図ることとし、それ以前から行っていた韓国との取引を本格化して、伊藤萬株式会社(以下「伊藤萬」という。)などの商社を仲介とし、韓国への技術指導、韓国からの輸入材(燐青銅及び洋白の素条)の加工、燐青銅及び洋白の製品の輸入、これらの販売などを行うようになった。また、「ばね用低錫りん青銅およびその製造方法」を研究し(ただし、特許庁における審査に時間を要し、平成元年になって特許を取得した。)、これを用いた通信機器以外のコネクターやリードフレームヘの材料の供給などにも取り組んだ。

しかし、韓国における好景気のため、輸入に遅れが生じるようになり、取引先から苦情が出たので、被告盛雄は、昭和五九年三月に、韓国からの輸入を打ち切った。その後は、被告東京特殊金属の営業内容は、関連会社の下請(加工)が中心となり、韓国から輸入した製品あるいは韓国からの輸入材を被告東京特殊金属が加工した製品の販売が落ち込んだので、経営状態は行き詰まってきた。

また、伊藤萬は、韓国との取引を有望視し、被告東京特殊金属に対し、韓国との合弁会社設立の話を持ち掛け、その交渉の間は、被告東京特殊金属が伊藤萬に支払いのために交付した手形の書替えに応じることとした。しかし、伊藤萬と被告東京特殊金属の合弁会社設立をめぐる交渉は、同年一一月には決裂し、これ以降、伊藤萬が手形の書替えに応じなくなったので、被告東京特殊金属の経営は、決定的に悪化し、一一億円ないし一四億円の負債(ただし、被告盛雄がそれまでに注ぎ込んで貸付金として処理してきた約二億円を除く。)を抱えて倒産した。

(3)  被告東京特殊金属の昭和五七年度の売上総損失は三億一四八九万六四三七円、自己資本率は一・五パーセント、流動比率は七七・一三パーセント、当座比率は二七・九九パーセントであり、昭和五八年度の売上総損失は三億七八二三万五三三三円、自己資本率はマイナス一・九パーセント、流動比率は二七・〇二パーセント、当座比率は二三・五九パーセントであつて、いずれも、望ましいとされる水準を下回っている。

(4)  被告東京特殊金属の昭和五四年度から昭和五六年度まで及び昭和五八年度の欠損は、順に八六六二万六二七〇円、五八五七万五八二二円、一億五九一二万九三二一円、一二億九九六万一九四七円である。なお、被告東京特殊金属は、昭和五八年度に、別途積立金三億六九〇〇万円を取り崩している。

(5)  被告盛雄は、被告東京特殊金属の企業活動において、会計には無関心であり、決算報告書も税務申告用に作成するにすぎなかったことは、先に認定したとおりであって、事業予算を立てるにも、政府の財政投融資の予算に一定の率を乗じて材料費を算定するなどしていた。

(三)  被告盛雄が被告東京特殊金属の職務を行うについて重過失があるといえるか否かについて

(1)  産業構造の変化と事業展開

原告は、被告盛雄が、被告東京特殊金属の製品が時代後れとなったにもかかわらず、新規事業展開を怠ったまま事業を継続したとし、この点に取締役の職務を行うについての重過失があるとするのであるが、被告盛雄が、産業構造の変化に対応し、事業内容の転換を図ろうと努力していたことは、前記(二)(1)(2)認定のとおりであって、漫然と旧来の主力製品(クロスバー交換機の材料)の製造を続けていたわけではない。この努力は、最終的にはいずれも失敗に終わったわけであるが、その一事をもって取締役に重過失があったと認めることはできないのであって、製造・加工業者が、従来の主力製品が需要を失うような大きな産業構造の変化に対応して、どのような事業転換をすべきかというのは、経営上の選択の合理性の有無にかかわることであるから、右選択が著しく不合理であることが客観的に明白と認められる場合、例えば、他のより合理的な選択がありうることが第三者的観点から容易に理解できる場合に限り、重過失を認めるべきである。

これを本件についてみるに、被告盛雄が、洋白を使用するクロースバー交換機の材料の需要がなくなったためにとった打開策のうち、燐青銅を使った製品への転換や、新合金の開発、通信機器以外のコネクターやリードフレームヘの材料の供給などについては、結局、目立った成果を得られていないものの、非鉄製品の製造・加工を業とし、その技術を有する業者の事業転換としては不合理とはいえないし、韓国への技術指導、韓国からの製品輸入にしても、それがうまくいかなくなった一因には、韓国の好景気という被告盛雄としては手の施しようがない事情もあったわけであり、被告盛雄が事業転換に成功しなかったことをもって、被告盛雄について取締役の職務を行うについて重過失があるということはできない。

(2)  借入れ

被告東京特殊金属の昭和五八年一月から昭和五九年一一月までの主要な借入れは、前記(一)認定のとおり合計九億二八〇〇万円という巨額なものであり、前記(二)(1)(2)認定のとおり被告東京特殊金属の経営状態が徐々に悪化していったこと、前記(二)(3)(4)認定のとおり右借入れの時期の客観的財産状況も相当悪いこと、前記(二)(5)認定のとおり被告盛雄の経営の仕方が、商業帳簿を無視し、丼勘定のきらいもあることからすると、右借入れは、返済の見込みのないものだったのではないかとも考えられる。

しかしながら、経営が多分に不確定な要素を含むいわば生き物であり、取締役には経営上相当広範な裁量権が与えられるべきであると解されるから、返済の見込みについての重過失の有無は、単に結果的に返済できたかどうかとか、借入れの時点で会社に存在する財産及び負債のみから形式的に判断して債務超過にあったかどうかという観点のみから判断するのではなく、右の各要素のほか、将来の事業展開の可能性などから総合的に判断して、借入れ行為が通常の経済人の立場からみて明らかに不合理であったかどうかという見地から検討すべきである。

そうすると、被告東京特殊金属は、倒産前数年は欠損が多かったが、前記二1(五)(1)認定のとおり昭和五七年度の売上高は一五億一四一三万五九七円で一〇二三万八二一〇円の利益をあげていること、昭和五九年三月以前は、いまだ韓国との取引が継続され、一定の利益が見込まれていたこと、それ以降の時期についても、伊藤萬が仲介する韓国との合弁企業の話が進行していたこと、また、被告盛雄がこの時期を通じて被告東京特殊金属の事業内容の転換に努力していたことなどからすると、右借入れは、結果的には返済の見通しを誤ったものといわなければならないが、被告東京特殊金属の事業展開により返済可能であるという判断のもとに運転資金としてされたものであり、それが通常の経済人の立場から明らかに不合理なものであったとは、にわかに断定することができないものというべきである。

そうすると、この点からみても、被告盛雄に取締役の職務を行うにつき重過失があるとはいえない。

2  被告盛雄の商法二六六条の三第二項所定の責任の有無について

原告は、被告盛雄が商法二八一条一項所定の計算書類に虚偽の記載をしたとし、同法二六六条の三第二項所定の責任を負うとするが、計算書類への虚偽記載を理由とする同条所定の責任は、会社の計算書類を公示することにより、会社と取引に入ろうとする者が会社の財産状況を把握できるようにするという商法の公示の制度を受け、計算書類の内容の真正を担保し取引相手に判断を誤らないようにさせるためのものであるから、これにより損害賠償を請求することができるのは、虚偽記載のされた書類の内容を前提に取引をし、これによって損害を被ったという関係があることを要するものと解すべきところ、原告は、右の点について何ら主張しないので、原告の右主張は、その余の点について判断するまでもなく、失当といわねばならない。

3  被告才治の責任

以上のとおり、被告盛雄は商法二六六条の三第一項、第二項のいずれによっても責任を負わないと解すべきであるから、被告盛雄が責任を負うことを前提とする被告才治の責任も認められないことになる。

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 清水信雄 本吉弘行)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例